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松井秀樹日記

成年後見16-遺言執行
2011.4.14 快晴

1月に書いたきりで、ほんとに久々に書きます。
最後の日誌に書かせていただいた1月3日に亡くなった方のことですが、
現在、私はこの方の最終の意思を実現するため、遺言執行者に就任しています。

いまやっていることは、この方の蔵書を大学等の図書館に寄贈することです。
蔵書は1万冊ほどある模様で、貴重な文献もたくさんあると思いますが、
昨今の大学図書館には本が溢れている状態のようで、この方の生前より
寄贈先を探しているのですがなかなかうまくいきません。

じつは明日、東京都心にある大学の方が来られ、蔵書の一部を引き取って
くれるとのことですが、私としてはいっぱい持っていっていただきたいのですが
明日、いらっしゃってみないとなんともわからない状況です。

もし、ほんの一部しか引き取ってくれなかった場合には、寄贈先をさがす
旅にでることになるのかなと思っています。4月の風に吹かれて行くかと
思っております。

ところで亡くなった方も旅が大好きでした。アメリカのニューオーリンズから
ミシシッピー川を北上する旅を愛妻と共にしたことを書いた本を、生前一冊
サイン入りで貰いました。

そういえばハックルベリーも旅をしたか。
旅は人生の学校であったのでしょうか。
これは現代も変わりませんが。
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成年後見15-すばらしき人生

2011.1.5 本日も晴れ 正月はずっと晴れ。

新年初めての日記になります。みなさん 明けましておめでとうございます。
じつは私と任意後見契約をしていた方が、暮れに危篤となり、1月3日の
早朝お亡くなりになりました。4日が葬儀でした。

この方と任意後見契約をしていたものの発効することはなく、つまり
判断能力の低下はなく、天寿をまっとうされました。

私としては正月休みは事実上なかったような状態でしたが、この方が
私に言った最期の言葉が「ありがとう」であり、その言葉に休みのない
日々の疲れも吹き飛んでしまいました。

この方は著述家でもあり、多くの著作がありますが、特にアメリカ、そして
ニューヨークを愛していたようです。

3日、葬儀の段取りも済んだので、以前より家族と行くために予約していた
ミュージカルの「キャッツ」の開演時間に間に合いそうなので、横浜に行きました。
このキャッツはニューヨークの下町が舞台であり、孤独な猫が天に召される
ところで終演します。

じつは私はこの日の朝、亡くなった方とこのニューヨークの下町が舞台の
ミュージカルがオーバーラップしてしまい、最後は泣けました。かれもこの街
をこよなく愛したのです。

キャッツで何度も繰り返し歌われる「メモリーズ」に私は涙していました。
「人は生きたように死ぬ」という深い格言のような言葉がありますが、この方も
生きたように亡くなりました。すばらしい人生でした。お見事でした。

私は生きる力を与えられたと思います。
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成年後見14ー横浜宣言

2010.12.31 大晦日 東京は穏やかな日和

しばらくこの日記から遠ざかっていました。いまは事務所は正月休み
ですが、今年最後の日記をつけようと思います。と、キーボードを叩き
ながら何を記そうか考えています。そうだあの格調高き「横浜宣言」
抜粋をしるして終了します。今年の10月4日、横浜パシフィコで宣言
されたものです。

(成年後見人の行動規範)
1.本人に代わって意思決定を行う際には適切に注意深く行動する。
2.公正かつ誠実に行動する。
3.本人の最善の利益を考え行動する。
4.本人に明らかな危害が及ばない限り、本人の要望、価値観、信念
  を事前に知ることができ、または推認することができるときは、そ
  れらを最大限に尊重し、遵守する。
5.本人の生活に干渉する場合は最も制約が小さく、最も一般化され
  た方法にとどめる。
6.本人を虐待、放棄、搾取から守る。
7.本人の人権、市民権を尊重し、これらの侵害に対しては常に本人
  に代わってしかるべき行動を取る。
・・・以下省略・・・

では、みなさん、よいお年を!
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成年後見13-意思能力
2010.11.15 午前は晴れ、午後は雨になるかも。

13日の土曜日は、大田区の洗足池図書館多目的教室で、一般の方を対象に
成年後見制度の講演をしてきました。
そこでさまざまな質問を受けたのですが、その中に、日本の成年後見制度
は諸外国に比較し、進んでいるのかという質問がありました。

そこで、すくなくとも、ドイツやイギリス、カナダといった国々と比較すると
かなり遅れているといわざるを得ないとお伝えしました。そこで例として
イギリスの2005年意思能力法の話を少ししました。
私は法律の条文を読んで感動することはめったにないが、これには
感動したと述べました。それを今回、この日記で紹介します。

「イギリス 2005年意思能力法・行動指針」紺野包子翻訳民事法研究会発刊から
その第1条のみ抜粋しました。じつは私は4がとても好きなのですが。

 1条 諸原則

 1 以下の諸原則は本法の目的のために適用される。

  2 能力を欠くと確定されない限り、人は能力を有すると推定されなければならない。

 

 3 本人の意思決定を助けるあらゆる実行可能な方法が功を奏さなかった
  のでなければ、人は意思決定ができ ないとみなされてはならない。

 

 4 人は単に賢明でない判断をするという理由のみによって意思決定が
  できないとみなされてはならない。

 

 5 能力を欠く人のために、あるいはその人に代わって、本法の下でなさ
   れる行為又は意思決定は、本人の最善の利益のために行われなけれ
   ばならない。

 

 6 当該行為又は当該意思決定が行われる前に、その目的が、本人の権利及び
   行動の自由に対して、より一層制約の小さい方法で達せられないかを考慮す
   べきである。

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成年後見12ー推定的同意
2010.11.12 今日もまさしく晴れ

数日前の日誌は「推定的意思」の話でしたが、今度は「推定的同意」
の話です。これは医療行為に対する本人の同意のことになります。

手術のような医的侵襲を伴う医療行為についは後見人に同意権はありません。
これは以前書いたとおりです。医療現場ではこれまで、本人の意思が確認でき
ない場合、「推定的同意」の考えもとに医療行為を行うことがあると
いいます。では、どのような場面でこの同意があるとされるのか。
私の知るかぎりの例を記します。

1 本人はあるガンの手術に同意しているが、その外科手術中に医師が
ほかの部位にもガンがあることを発見し、このガンをいま摘出することに
本人の推定的同意が認められるとして、そのガンも摘出する。

2 本人は判断能力を完全に失っているが、本人の家族や関係者、友人、
あるいは本人の書いた文書から、この医療行為には同意することが
推定できる。

3 本人は判断能力を完全に失っているが、生命の危機に瀕しており、もし
本人の判断能力があるならば、この手術には当然同意するものと思われる。

このうち、2は現在、家族の同意で臓器移植する手術の際に使われている
「推定的同意」と類似すると思います。ただ、2で書いているのはあくまでも
本人を生かすための推定的同意、あるいは延命治療をどうするかの場面に
おける推定的同意が前提のようにも思います。

最後に、成年被後見人、つまり判断能力がないとして後見開始決定を受けている
人は、医療行為に関する同意能力も当然にないと考えてはいけないこと
です。

成年被後見人とは、財産管理能力のない方のことであり、医療行為の
同意能力とは違うものだからです。
















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