松井秀樹日記
成年後見5-「傾聴」
2010.9.30 雨 ふりやまず。
以前、数ヶ月間にわたり「末期癌」や「ホスピス」や「終末期医療」関係の本を自宅の
ある横須賀市の中央図書館から借り受け、通勤電車の中で読んでいました。
かれこれ10冊は読み終えたように思います。
後見業務を仕事の一つとしている以上、被後見人である「他人の死」については
日常の仕事の上においても関心があるのは当然ですが、この仕事をやって
いるうちにいつかは余命何年、あるいは何か月かを告知された人と仕事上でかかわりをも
つことは十分過ぎるほどある得ることです。現に私の友人である複数の司法書士からホ
スピスの問題にぶちあたった例を聞いています。しかし、他人様のことよりも「自分の死」
にいつかは臨まなければならないのが自然の摂理、永遠不滅の真理なのですから、
これらの本をいまから読んでおくことも決して無駄ではないとも思っています。
さて、これらの本を読みあさるうちに私の知らなかった知識を得ることも多く、たとえば現在の
終末期医療ではモルヒネなどの使用で末期癌患者がこれまで苦しまなければならなかった
激しい疼痛の9割を抑えることが可能であるといいます。このことにはほっとします。また平
然と死に赴く人の多くは「死が終りでない」という宗教的確信をもっている人だといいます。
ここで思い出すのは19世紀の哲学者ショーペンハウエルが記した言葉です。たしか「動物
は死を目の前にして初めて死を知るが、人間は死のずっと手前で自分の死を考える。ここ
から宗教も哲学も文学も発生した」といったような内容の文章を残していたと記憶していま
すが、現代人には自分の死後も存続する命があるといういわば宗教的確信をもっている人
が少ない以上、死に方は難しくなったと考えてみたりします。
「スピリチュアル・ペイン」という言葉もあるそうです。これを日本語にしいて訳すと「霊的な痛
み」となるのでしょうが、「自分の存在がなくなることと、生きる意味の消失に伴う苦しみ」とい
ったある種の究極の苦しみを多くの末期癌患者が通過するといいます。
ところであるホスピス医の記すところによると、人が余命何か月かの宣告を受け、その方と
医者として対することになった場合、なぐさめの言葉をかけることはなく、ただただその方の
魂の痛みを聴くことに専念するのだそうです。その方の絶望の声に耳を傾ける、つまり「傾聴」
する姿勢をとるのだといいます。いや正確に言うと「傾聴するしかない」のだといいます。
では何故傾聴するしかないかというと、ホスピス医にしても、この世に生きているすべての人
にしても、いまだ自分の死を経験したことがないのですから、死後のことは正確には誰にもわ
からないということになり、そのことを知っている以上、ただ死に臨む人の苦しみの言葉に耳
を傾けるしか、やれることはないという理由だそうです。しかし絶望の言葉を吐く人もいつかは
そこを通過し、次には死の受容が始まるともいいます。この絶望から死の受容へ移行するプロ
セスは、たしかキューブラー・ロスも記していたように思えますが、ロスの本は10数年前に読ん
だため記憶が定かではありません。
私はこの「傾聴」ということを知り、ふと思うことがありました。私がいま任意代理をしている方で、
絶望の中にいる方との1ヶ月に一度の面談の際(これは私にとっても重く苦しい面談ではありま
すが)、それまでなぐさめや励ましの言葉をかけていたのを止めることにしました。私はただただ
その方の苦しみの言葉を「傾聴」する姿勢をとったのでした。
するとほんの少し変化が生じました。その方の表情がこころなしか明るくなったように私には思え
たのでした。確かにそう思えたのでした。
これは何故なのだろうかと、愚鈍な私は、誠実に考えつづけているのです。
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